アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(Ernest Henry Wilson)は屋久島の「ウィルソン株」や「ハンカチノキ」などで有名なプラントハンターで、正確な数はわかっていませんが、生涯で5000種以上の新しい植物を紹介したと言われており、ヨーロッパやアメリカの家庭の庭や景観の中にはウィルソンが紹介した植物が必ずあるとも言われるほど、人々の生活の中に多くの植物をもたらすことになった大プラントハンターです。今回はそんな伝説のプラントハンターの1人アーネスト・ヘンリー・ウィルソンを紹介していきます。

  

プラントハンターになるまで

 

アーネスト・ヘンリー・ウィルソンは1876年にイングランドの西部コッツウォルズ地方の北の玄関口チピング・カムデンで生まれ、学校へ行くも途中で辞めバーミンガムのベットダウンであるソリハルにあるヒューイットの種苗園に入園し、その後バーミンガム植物園で働きながら、バーミンガム工科大学に通って植物学を学び、その植物学でヴィクトリア女王からの女王賞を授与されました。その後、植物学の教師として働いたのち王立のキュー植物園に要請されたとされています。

 

ハンカチノキとウィルソン

 

ハンカチノキはミズキ科の落葉高木で学名はDavidia involucrataといい、大きな2枚の花びらからなる花を咲かす植物です。ハンカチノキが初めてイギリスにやってきたのは中国で働くアイルランド医師のオーガスティン・ヘンリーが1891年に王立キュー植物園に標本を送ったことがきっかけとなっています。

しかし、ヘンリー医師が送ったハンカチノキの標本から種子は発芽しなかったので、ハンカチノキの標本作りという名目でウィルソンはプラントハンターとして中国へ向かいしました。

 

ウィルソンと日本

 

ウィルソンは日本にもプラントハンターとしてきたことがあります。プラントハンターの仕事は「リーガル・リリー」の採集の際にはウィルソンは中国の成都から松藩への行路でかけ崩れ右足を負傷してしまうなど過酷な一面も多くあったようです。しかし、ウィルソンが日本にサクラの品種を集めるプラントハンターとしてきたときはウィルソンの奥さんと8歳になるミリュエルと一緒にホテルに宿泊していくといった旅行のようなものだったといわれています。その時にウィルソンは九州の久留米市にある100年前から栽培されている久留米ツツジに出会います。そして久留米ツツジはのちにできるプラントハンターであり植物学者であったアーネスト・ヘンリー・ウィルソンのコレクション「ウィルソンの50選」に選ばれることになったのです。

 

 

おすすめの記事