ルター派教会の牧師でもあり医師であったヒエロニムス・ボック(Hieronymus Bock)は植物学の父の1人として有名なドイツ人です。プラントハンターについて知るにも欠かすことのできない人物をこちらで紹介していきます。

 

ヒエロニムス・ボックの生い立ち

 

1498年にヒエロニムス・ボックは生まれました。しかし、何処で生まれたのかなどの詳細はわかっておらず、ヒエロニムス・ボックの生涯については詳しいことについても不明とされています。

 

唯一ヒエロニムス・ボック自身について分かっていることは、1519年に彼はハイデルベルク大学に在籍していたこと。1523年にエヴァビクターと結婚し、9年間ツヴァイブリュッケンの学校教師を務めていたこと。

 

そしてヒエロニムス・ボックは王子の医師であり、パラティーノ伯爵の家庭菜園の世話人となり、1533年に近くのホルンバッハでルター派の牧師として生涯の地位を得た後、1554年に亡くなったことです。

 

両親からの諚と伯爵の助け

 

ヒエロニムス・ボックがどのようにしてプラントハンターとなったのかを見ていきましょう。修道士になるように両親から言いつけられて育ってきたヒエロニムス・ボックでしたが、修道生活のためだけに生きられないことを両親に納得させ、修道士ではない道を選びます。

 

そしてヒエロニムス・ボックは、パラティナーテのルートヴィヒ伯爵の助けを借り、大学で神学と医学のコースを受講しその後、教育の仕事に就きました。ヒエロニムス・ボックは伯爵の庭も担当していますが、彼が亡くなるとホルンバッハに戻り、ルター派の牧師になり、医学を学びながら植物学の研究を続けることになります。

 

「Kreutterbuch」(植物本)

 

プラントハンターの中には多くの本を書いている人がいます。ヒエロニムス・ボックも本を書いていますが、その本は植物学界に小さな革命を起こしました。

 

「Kreutterbuch」(植物本)は、1539年ストラスブールで出版されたヒエロニムス・ボックにとって初めての著書です。「Kreutterbuch」(植物本)はイラクサの記述から始まります。

 

ヒエロニムス・ボックが「Kreutterbuch」(植物本)を出すまでは、本の始まりは常に最も希少な種から始まっていました。しかし「Kreutterbuch」(植物本)では非常に一般的な種の植物の紹介から始まっていたので、当時では珍しくヒエロニムス・ボックの小さな革命であったといえるかもしれません。

 

ヒエロニムス・ボックは、ドイツ語でドイツの植物の名称・特徴、及び医学的用途についての説明を「Kreutterbuch」(植物本)しています。ヒエロニムス・ボックは世の中の人のためにドイツの植物に対する認識や役立つ情報を「Kreutterbuch」(植物本)を通して提供しようとしました。

 

ヒエロニムス・ボックは引用した800種をランク付けしようとし、そしてアルファベット順に植物を紹介し、その植物が野生であるか栽培されているか(木・低木またはハーブ)に応じて分類しました。

 

これは40年頃-90年、古代ギリシアの医者・薬理学者・植物学者であったディオスコリデス以来ともいわれています。ヒエロニムス・ボックは植物の生態と分布を観察するためにドイツ国内を広く旅をしたといわれています。

 

 

ヒエロニムス・ボックがもたらしたもの

 

ヒエロニムス・ボックは、今の私たちの生活で当たり前に知っていることを教えてくれた人でもあります。例えばワインの世界では、1552年にラテン語のハーブについて書いたとき、最も重要な地位を占めるのはドイツの白ワイン用ぶどう品種である「リースリング(Riesling)」ということをヒエロニムス・ボックによって文書化されたことで知られています。

 

また草の属(Tragus)とトウダイグサ属(Tragia)はどちらも彼にちなんで名付けられました。

 

現在ワインを嗜む人であるなら誰でも知っているこの言葉もヒエロニムス・ボックによって文章化され、世に知れ渡ったのだなと考えると彼の存在は植物界だけでなくワイン界でも重要視されているのかもしれません。

 

ヒエロニムス・ボックとデビッド・カンデル

 

1546年に出版されたヒエロニムス・ボックの「Kreutterbuch」(植物本)で、デビッド・カンデルは挿絵を担当しています。

 

「Kreutterbuch」(植物本)は、2世紀で最高の植物アートとされ美しい木版画に満ちたすばらしい本と評価されていました。デビッド・カンデル(David Kandel)(1520–1592)はこの傑作に550枚の木版画を寄贈しました。

 

これらのオリジナルの木版画は、図面、現代の研究、中世および古代の理論を組み合わせており、この挿絵のためにデビッド・カンデルは膨大な数の植物・ハーブ・木を詳細に調べました。

 

デビッド・カンデルはルネサンス期の芸術家であり、植物学と科学の最も有名な先駆者の一人でした。しかし、彼の人生において、残された記録から特定できる出来事はほとんどないため、彼の私生活に関して検証できる事実はほとんどありません。

 

臆測ではありますが、デビッド・カンデルは1520年にストラスブールで生まれ、1554年に結婚し、33年後の1587年に「家の所有者」と名付けられました。

 

その後デビッド・カンデルは1592年に亡くなりました。彼の作品や木版画は、科学的な植物のイラストから、聖書の章や場面のイラストまで幅広かっともいわわれています

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