19世紀のプラントハンター全盛期にイギリスで、園芸界の覇者としてその名を轟かせていた「ヴィーチ商会」の創設者であり、一族でイギリス園芸家とプラントハンターを盛り上げていったジョン・ヴィーチについて紹介します。ジョン・ヴィーチ自身はプラントハンターではありませんでしたが、ヴィーチの創った「ヴィーチ商会」はプラントハンターと大きな関わりがありました。

 

 

ジョン・ヴィーチ

 

ジョン・ヴィーチ(John Veitch)は1752年にスコットランドの南西部ロクスバラ州の中心都市のジェッドバラに生まれました。ヴィーチはトマス・ダイク・アクランド卿がキラトンの城の庭を美しく改造するための庭師としてスコットランドからイングランドへ行きました。その庭師を勤め上げたのちキラトンの近郊に栽培園のための土地を借り専門的な園芸植物の栽培を始めました。そして、息子と共に事業拡大に努め、その息子と孫2人とともに栽培園をデヴォン州の都会であるエクセター近くのマウント・ラドフォードに栽培園を写しました。

 

ジョン・ヴィーチとプラントハンター

 

ジョン・ヴィーチとプラントハンターを繋げる鍵となるのは「ラン」です。今でも贈り物として人気のランですが、19世紀にはランが非常に人気を博し多くの人がランを求めるようになり、ランを巡って人が狂気に陥るような時代がありました。その時に活躍したのが、ヨーロッパになく亜熱帯にしかないランを求めて探索に行くプラントハンター達です。その人達はランハンター、オーキッドハンターとも呼ばれていて、多くのプラントハンター達が園芸商・種苗商に雇われて収集活動を行なっていたといわれています。その筆頭の園芸商・種苗商がヴィーチ商会だったのです。

 

 

ヴィーチ商会

 

植物を鑑賞する文化が17世紀から園芸という形で登場します。18世紀まではリー・アンド・ケネディ商会が園芸業界を引率していましたが、19世紀になるとヴィーチ商会が頭角を現してきます。ヴィーチ商会は、園芸業界だけでなく一般の人からも「ヴィーチ王朝」と呼ばれるくらい認知度がありイギリスの園芸業界をリードした存在でした。ヴィーチ商会は数多くの園芸商品を扱うだけでなく、珍しい異国植物の導入についても他の園芸商に比べ軍を抜いていたといわれています。そしてその後100年もの間ヴィーチ商会はイギリスの園芸業界のトップに君臨していました。創立者のヴィーチから息子、孫、ひ孫と一家でヴィーチ家は園芸業界を引率して行く存在でした。

 

 

 

 

 

 

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