ロバート・フォーチューン(Robert Fortune)はプラントハンターについてもちろんのこと、紅茶の文化を語る上でも欠かせない人物です。そんな彼については以前紅茶とプラントハンター(https://planthunter.info/?p=13)で少し触れましたが今回はロバート・フォーチューンについて詳しく紹介していきます。

 

 

ロバート・フォーチューンの生い立ち

 

ロバート・フォーチューン(Robert Fortune)は、イギリスのスコットランド南東部にあるベリックシャーのケローで1812916日に生まれました。ロバート・フォーチューンはエディンバラのすぐ南にあるモレダン・ハウスで雇われ、その後エディンバラ王立植物園(ロイヤル・ボタニック・ガーデン・エディンバラ)に移りました。

 

その後1840年に、ロバート・フォーチューンと彼の家族はロンドンに移り、ウィリアム・マクナブの監督の元でエディンバラ王立植物園の植物学者になりました。そして1842年には、ウィリアム・マクナブの支援を受けてロンドンの園芸協会のチズウィックにある庭の(チズウィックガーデン園芸協会)温室オフィスの監督という役職に就いています。

 

プラントハンターとして中国へ

 

1842年にロバート・フォーチューンは、英国の園芸会社の中国コレクターとして抜擢されます。その使命は中国にて青い牡丹・茶植物を探し、皇帝の庭にある植物などについて調査することでした。

 

そして同年にアヘン戦争を終結させるために、清(現在の中国)とイギリスの間で結ばれた講和条約、南京条約が成立します。翌年の1843年初頭には、ロバート・フォーチューンはHSから中国南部への3年間の植物収集遠征を請け負うことになり、イングランドから中国・香港(当時は中国)へと向かいます。

 

中国とフィリピンを回る

まだまだ外国人立ち入り禁止の場所が多かった中国にて、多くの植物を採取するのは大変だったことでしょう。

 

そんな時代にロバート・フォーチューンはプラントハンターとして髪を切り、中国の人々同じ服を着ることで見た目を中国人に寄せた上で、外国人立入禁止区域に侵入し、中国にある植物達を採取します。

 

ロバート・フォーチューンのプラントハンターの旅は、香港に始まり厦門(アモイ)、中山列島、チュンサン群島、寧波、上海、マカオ、広東、紫禁城、フィリピンのマニラと3年間で多くの場所を訪問しました。

 

プラントハンターの旅の中でロバート・フォーチューンは中国の庭園、チャノキ、牡丹、フィリピンの胡蝶蘭などの多くの植物を採取し、80ケースにも及ぶ植物をチズウィックガーデン園芸協会へ送ります。

 

ロバート・フォーチューンは、中国帝国の財産であるチャノキやその他の苗木を盗むためにあらゆる手段を講じたといわれています。また彼は、植物を支えるためにナサニエルバッグショーウォードのポータブルウォーディアンケースを使用したことでも知られています。

 

これらの小さな温室を使用して、フォーチュンは20,000本の茶植物と苗木をインドのダージリン地方に持ち込みました。

 

チャノキ苗の導入へ

 

ロバート・フォーチューンは1849年、上海よりインドのカルカッタに到着しました。そして、インドのダージリン地方にて中国でのプラントハンターの成果の1つであるチャノキ苗を使ってお茶の栽培を試みます。

 

まず、ロバート・フォーチューンは茶葉の生産を促進する訓練を受けた中国の労働者のグループを違法に連れていき、チャノキ苗の栽培をおこなわせました。

しかし、ごく一部を除いて、インドに導入された中国の茶植物のほとんどは成長せず栽培は失敗に終わりました。ロバート・フォーチューンがインドでチャノキ苗の栽培に失敗した理由の1つは、英国好みの濃い紅茶の醸造に使われる茶植物がインドに適さなかったことといわれています。

 

はじめは失敗に終わったチャノキ苗の栽培ですが、ロバート・フォーチューンが連れてきた中国の人々によって持ち込まれた技術と知識によって、最終的には成功しました。

 

その後、インドとセイロンの茶産業でヨーロッパにおける中国茶の市場を独占するまでになります。結果としてロバート・フォーチューンの取り組みは、インド茶産業の繁栄に貢献したことになります。

 

日本とロバート・フォーチューン

 

世界をまたにかけるプラントハンターのロバート・フォーチューンは、日本にも訪れていました。幕末の日本にて日本の文化の一つであるカイコや米の製造について学んだそうです。ロバート・フォーチューンが日本で採取した植物はキンカン・牡丹・ツツジなどをはじめとした樹木、低木、花だったそうです。

 

また日本についてロバート・フォーチューンは「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明する物であるとすれば、日本の庶民は我が国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる」という言葉を著書『幕末日本探訪記―江戸と北京』に残しています。

 

また日本の文化に驚いた様子も伺え、「サボテンやアロエなど中国で知られていない物がすでに日本にある。これは日本人の気性の現れである」、「イギリス産のイチゴが売られていて驚愕した」などの言葉も残しているようです。

Wikipedia(ロバート・フォーチュン)より引用

 

 

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