プラントハンターに関する書物の中で必ずあげられるといってもいいほどの「ジョン・トラデスカント」という人物。一体どういった人物なのでしょうか。またジョン・トラデスカントという同じ名前のもう1人のトラデスカントもプラントハンターでした。この2人の関係性は一体….. 

 

ジョン・トラデスカント

 

プラントハンター草創期とも言える時代に1人目のジョン・トラデスカントは

活躍しました。出生場所や日時については記録がないようでわかっていませんが、現在はロンドンの農民の子であったのではないかと言われています。

プラントハンターにどのようにしてなったのかというと貴族の所領の下働きで庭師として務めはじめ、そこの宮殿と庭園を飾るために珍しい植物を手に入れるためにヨーロッパに派遣されてプラントハンターとなったのでした。

しかし、この当時は東南アジアなどの遠い場所ではなく、パリ・ブリュッセル・アムステルダムを周りオレンジ、サクランボ、スグリ、アネモネ、チューリップ、バイモなどをイギリスにない植物を持ち帰ったとされています。トラデスカントは厳密に言うと現地から採取し帰ってくるはずの植物を購入していました。しかし、当時としては普通の流れだったのかもしれません。またトラデスカントはロシア探索に出かけてアルジェリアなどで植物採集を行った経験もあり、晩年ではチャールズ国王のお抱え庭師をしていました。そんなトラデスカントが生涯で採取した植物は1701種類だったそうです。

 

 

もう一人のジョン・トラデスカント

 

もう1人のジョン・トラデスカントは、先ほどのジョン・トラデスカントの息子です。息子も同じ名前なのでトラデスカント(息子)と表記していきます。父のトラデスカントが晩年チャールズ国王の庭師を行なっていたのでそれをトラデスカント(息子)が引き継ぐ形となりました。トラデスカント(息子)が

就任した頃イギリスはアメリカのヴァージニアを新たな植民地としており、そこにプラントハンターとしてトラデスカント(息子)が派遣されました。他にももう1人プラントハンターがいたようですが、その1人に関する記録は残っていません。トラデスカント(息子)がプラントハンターとして持ち帰った植物は多数の樹木、カエデ科アメリカハナノキ(Acer rubrum)アメリカスズカケノキ(Platanus occidentalis)カナダユリ(Lilium canadense)ニセアカシア(Robinia pseudo-acacia)ツキヌキニンドウ(Lonicera sempervirens)ユリノキ(Liriodendron tulipifera)クジャククシダ(Adiantum pedatum)と言われています。トラデスカント(息子)は父のトラデスカントと同じようにイギリスに多くの植物を持ち帰ってきたプラントハンター親子でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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