プラントハンターがいたからイギリスのアフタヌーンティーが人々の生活に定着した?紅茶にとってプラントハンターの関係は切っても切れないのです。

 

紅茶と英国人

 

紅茶といえば英国を思い浮かべる人も少なくはないのではないでしょうか。紅茶はイギリスの王室から生まれたともいわれており、イギリス王室でポルトガルからきた女王が東洋の薬として知られていた中国のお茶に砂糖を多く入れて飲んだことが始まりともいわれています。当時は貴重とされていた砂糖を大量に使用し、習慣として飲む姿が王室の人々や貴族に素敵なものとして映ったのかその後イギリスの貴族、文化人の社交場で楽しまれるものとなりました。産業革命以降一般的な家庭でも飲む習慣ができたとされており、その後のイギリスの植民地でのお茶栽培成功も相まって英国は紅茶大国となって言ったのです。

 

ロバート・フォーチューン

 

ロバート・フォーチューンはスコットランド生まれの園芸家でロンドン園芸協会にて温室を担当していた人でした。ロバートは園芸家の面以外にも植物学者・プラントハンター・商人といった様々な顔を持つ人物としても知られており、中国から当時のイギリス植民地であるインドへチャノキを持ち出したプラントハンターとしても有名な人です。

 

ウィキペディア(Wikipedia)でロバート・フォーチューンを見る

 

チャノキ

 

チャノキはツバキ科の常緑低木で和名では「茶の木」英名では「Tea Plant」、学名を「Camellia sinensis」簡単にいうとお茶の元であり、紅茶の元です。セイロンティー、ダージリンティー、アッサムティー日本茶の元になる植物です。19世紀前「茶」は中国帝国がほとんどといっていいほど独占しており、それ故ヨーロッパでは一部の富裕層に向けて中国のお茶が出回っていたといわれています。

 

プラントハンターとチャノキ

 

中国帝国がチャノキを独占している状態の中イギリスと中国との貿易の関係は不安定なものであったとされています。そんな関係に不安を抱えていたイギリスの人々は「イギリスのために茶(チャノキ)は確保されてなければならない」という意見に耳を傾けるようになります。そして、イギリスの人々はチャノキの「苗木と種」「茶職人に受け継がれてきた中国茶の最高の製法」を何としても中国からイギリスに持ち帰ってこないといけないという思いに駆られました。その当時プラントハンターがイギリスでも浸透してきており、プラントハンターとしてロバートフォーチューンが中国から「苗木と種」「茶職人に受け継がれてきた中国茶の最高の製法」を持ち帰ってくる大役を任されることになりました。

 

中国からチャノキの「苗木と種」「茶職人に受け継がれてきた中国茶の最高の製法」を持ち帰ってくることに成功したロバート・フォーチューンは大プラントハンターとして、その名を残すことになりました。

 

プラントハンターのロバート・フォーチューンがいなかったら、アッサムティーやダージリンティーなどは存在せず、アフタヌーンティーの文化も登場していなかったかもしれませんね。

 

 

 

おすすめの記事