プラントハンターといえばこの人を忘れるわけにはいきません。プラントハンターゆかりの王室キュー植物園の発展に非常に力を尽くしたジョゼフ・バンクス(Joseph Banks)を紹介していきます。

 

プラントハンターになるまで

 

ロンドンのアイガールストリートで1743年の2月2日にジョゼフ・バンクスは

生まれました。ハーロー校、イートン・カレッジなどで学びを深めていましたが、17歳の時に天然痘の治療のために退学、オックスフォードに籍を起き博物学・植物学を学んでいました。しかし1821歳の時に父が他界すると学位を取らぬまま大学を退学したと言われています。巨額の財産を相続し住居をチェルシーに移し、チェルシー・フィジック・ガーデンや大英博物館に足繁く通い科学者達と交流を深めました。20歳の時に王立協会の会員に選ばれ、自然史化学調査のためにカナダへいきます。これがバンクスのプラントハンターの始まりになります。

 

王立協会とキャプテン・クック

 

王立協会フェローは自然知識とされる分野に対して学びを深め向上させた人に対して王立協会から付与されるフェローシップ(会員資格)のことを言います。バンクスは植物学の分野で認められていたので、王立協会フェローとして選ばれていました。そしてジュームス・クックことキャプテン・クックの英国軍艦エンデバー号での南太平洋航海に参加しました。タヒチ、オーストラリア、ジャワ、ニュージランドを回りバンクスは3600もの植物標本を持ち帰ってきます。そのうちの1400種類は新発見の植物でプラントハンターとして実績をあげることになります。この第一回目の航海を最後にキャプテン・クックの航海にバンクスは同行しなくなりますが、その変わりにバンクスが選んだプラントハンターを同乗させていました。その後バンクスは第1回の航海でスェーデン植物学者のダニエル・ソランダーとともに収集した植物の銅版画コレクションを作ります「バンクスの植物図鑑」が全て完成したのは1989年でした。

 

王立キュー植物園

 

1773年ごろにバンクスは王立キュー植物園の顧問に任命されました。バンクスは多くのプラントハンターを抱え、様々な地にプラントハンターを派遣するとともに「王立キュー植物園で種子から育てるのが難しいと思える奇妙な、あるいは貴重な植物を見つけたら標本を確実に掘り出し、専用のガラスケースに移して植物が生きた状態で持ち帰ってくるために最大限の努力を払うこと….標本は全て国王陛下の財産と考えること….」などとプラントハンター達に厳格な指示書を出していました。まさにこの時代のプラントハンターのボスはバンクスであったといえます。その後もバンクスは王立キュー植物園の繁栄に力を注ぎました。バンクスは「ヨーロッパの地に南洋の島のタネを繁茂させ、西洋の島にはヨーロッパのタネを広めた」とされ1781年には准男爵の称号、1804年に国立園芸協会を設立させ、以後40年間会長を務めました。

おすすめの記事